2016.4.30 誰かを忘れずに生きることと、誰かを思いながら生きること

4月も終わりやんか!ご無沙汰しておりました。サボっていただけです。僕は元気です。
もう桜は散り、もうすぐ梅雨の季節。向日葵が青空へ顔を向けるその前に、少し自分を見つめる為の季節-。
今日は晴れていますが、見上げた空はどこか霞んでいて、ずーっと遥か高みまでは見通せない。何処からか、一粒の雨が落ちてきて、それは僕の顔に当たり、足元の新しい双葉を揺らす。ポツリポツリ。小さく滲んだ染みがやがては町全体を吞み込んでしまう。
灰色の町は淋しいけれど、次に陽が射すとき、町は今日とはきっとどこかが違う。

雨の中を傘も差さずに誰かと坂道を走った頃がありましたね。みんなきっと。
息を切らして軒先へ逃げ込んだときもあれば、ビショ濡れのまま笑い合ったときもありました。

以前から何回か「振り子の原理」についておハナシしていますが、悲しい側、苦しくて辛い側へ振った振り子は、絶対に反対側の幸せ側に振り戻ると。涙を流した分だけ、想い出をたくさん重く抱えた分だけ、それ以上に幸せ側に針は振れ戻るのだと。
僕と同じように車椅子に乗っている大好きで大切な友人にそんな話をしたら、こんなことを教えてくれました。
「振り子の原理」が働いて、いつか幸せ側へ振り戻るのなら、その幸せ側の最高地点を待つだけではなく、中間点から少しでも悲しく辛い側へ針が振りそうになったとき、その針をすぐにでも力ずくでも幸せ側へ戻したい、と。

今が大切で、未来が大切、ということですよね。もちろん過去も大切。
でも誰も大きな悲しみは要らない。抱えた悲しみが大きく重いならば、もうこれ以上は要らない。いつか振り子が幸せ側に振り戻るまで、膝を抱えているだけではなく、今、目の前で揺れている振り子がこれ以上辛い方へ行かないように、必死で引き止めるのだと。
う~む。まだまだ教えてもらうことばかりです。

春雷の中で桜は揺れていました。でもそれは、散りそうになるのを必死で堪えていたのではなく、桜は去年と同じように僕たちがまた見に来ると思ってくれていて、それで嬉しくて揺れていたような気がします。

悲しいニュースが続いています。誰かを非難することは簡単。僕たちがすることは決まっています。粛々と今を生きること。家族、友人、知人、そして大切な人、その人の横に居てあげること。誰かを忘れずに生きることと、誰かを思い続けながら生きること。

久しぶりにBGMリンクを貼りましょう。イメージが具現化するので歌詞付の曲で、それも邦楽は貼らないつもりでした。でも、懐かしい物なら良いでしょう。
誰かの隣に居てあげてください
〈何、やってんだろう:スターダストレビュー〉♪

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