2016.12.24 空の星と自分の靴

いきなりですが、拠り所ってあるでしょう。心の拠り所、判断の拠り所・・・。
何を頼りに、何を支えに、何を基準に、自分は毎日生きているのか、拠り所って、いつも同じじゃなくて陽炎のようにゆらゆら揺れているものなのでしょうか。
う~む、またいつものワケわかんないハナシですな。ぬひひっ。だって考えちゃうのだから仕方ない。

拠り所。それが動かないものだったら良いのですけれどね。例えば大好きな景色や、絵や、詩だったなら、目を開いたときにもちゃんと見えるのに。
けれど、それが人の言葉や自分の心模様だったりすると、瞼を開けた時には居なくなったり、消えてなくなったりします。

実はそれらは錯覚であって、拠り所は消えてはいなくて、僕自身が迷走している、というのが実際なのですけれどね。でも、寂しさや悲しみや無念さを感じるのを、人のせいにしたり、病気のせいにしたり、自分以外の動くもののせいにします。その方が言い訳がたつもの。昨日まで前向きだったのに、今日は落ち込んでしまったりということまでも。
自我ってことでしょうね。

分かっているのですけれどね。でもやっぱり、自分を俯瞰に見られるほど強くない。結局は自分の心の落とし場所を自分の心の弱さでいつも変えているから、拠り所が消えたり変化しているように感じているのだし、すべては、自分勝手に自分を世界の中心に据えているからなのだ、と分かっているのですけれどね。空をぐるぐると見上げているだけなんだと。

どんどん指の力も落ちてきて、ヘルパーさんに動かしてもらわないとずーっと一日同じポーズです。いやはや、電動車椅子の操作も自力では自由にできなくなりました。

先日、インドに住む旧友からグリーティングカードが届きました。
優しさとか思いやりみたいなものって、小さかったりさりげないものの中にあるのでしょうね。

遠い空を見上げた頭を下げて自分の足元を見つめてみる。
空の星と自分の靴。そこを中心に世界が回っている、と思うことは大きな勘違いだけれど、でも自分の周りにはぶつかって痛いほどの、心の拠り所が散りばめられています。宇宙みたい。

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