2015.4.25 春

啓蟄の頃は過ぎましたが、僕もそろそろ顔を出さなくちゃ。春に追い越されてしまう。
ブログもいつも更新したいという思いはあるのですが、手や指が動かないことには何ともねー。うーむ、どんどん病気は進むからねー。

ALSの本をたくさん読んでも、どんどん身体が動かなくなってゆく自分を、どういう風に感じ、どう受け入れてゆくのだろうか、そういう本が見当たらない。じゃあ自分で記録を残そうか、と始めたブログですが、ちょっと最近になって分かり始めたことがあります。

今さら?、という感じですが、「不安」が「怖い」と思うようになってきました。こうなったら不安だなあ、とALSの進行を何処か未来を見るように考えていた気持ちが、実際に本当にこうなってきたよ、と感じることが増えてくると、漠然とした不安が、恐怖として感じるようになってきました。

う~ん、怖くて仕方がない。指が止まれば頬を使って最新のコミュニケーション機器を使って・・・、というようなソフトの話ではなく、「身体の動きが一切停止する」、そのゴールしか選べない道を進むことしかできない、ということが近頃怖くて仕方がない。
その気持ちの処理の方法はまだ見つかっていなくて、果たしてそもそも必ず「怖さ」を他の感情として処理できるのかも分からない。
やっぱり感情の移り変わりを書き残していかないとね。

毎日の天気は慌しくて、でもゆっくりですが、季節はちゃんと春を迎えています。
窓の外からはリコーダーを吹きながら歩く子どもたちの笑い声が聞こえるし、晴れた朝はカーテン越しの向かいの屋根が眩しい。

爽やかな風が髪を揺らす季節。それを僕は停まった車椅子から見ています。僕が付けた車輪の跡を誰かの靴が踏んでゆく。重なってゆく足跡ひとつひとつには、それぞれの人生が乗っていて、それぞれがそれぞれの灯りを抱えている。すべてが幸せ色ではないのだろうけれど、こうやって人は重なっているのでしょうね。

知らない誰かの轍を僕は踏みつける、知らない誰かと僕は、知らない何処かで繋がっている。知らないうちに僕は救われている。
僕が踏みつけて残した轍を、次の誰かが踏みつけてゆく。その人が幸せに感じる為には、僕はどういう轍(わだち)を残せばいいのだろう。僕は何を振り切ればいいのだろう。何を置いていけばいいのだろう。どこへ進めばいいのだろう。

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