2015.1.7 轍(わだち)

明けましておめでとうございます。
今年のお正月は寒かったですね。ここ横浜にも雪が降りましたし。皆さんはちゃんと社会復帰できていますかー? 昨年はみなさんに本当にたくさんのご心配とご迷惑をお掛けしました。どうもありがとうございました。

僕は轍(わだち)という言葉をこのブログのタイトルにも記事の中にもたくさん使っています。自分の生きてきた道はどんな形をしているのだろう。僕がいろいろな知人友人から影響を受けて歩んできた道のその轍(わだち)は、どんな形をしているのだろう。振り返り振り返り前へ進んで行こう。昨年はそう誓いました。

お正月を挟んだから生き方や考え方を改めるという、そんな生き方はしていないつもりですが、今年は前へ踏み出す一歩をちゃんと本気で出してみよう、そう思います。いつも言っていましたが、いつも出来ていないので、今年は、そろそろ本当にやらないといつやるねん?と。鏡に映る自分に言ってやったのです。

本や新聞をめくれなくなった僕は、情報をテレビやネットや、訪ねてきてくださる方との会話に求めます。もちろん、この小さなブログにわざわざコメントを送ってくださる方々の言葉にも。
最近、よく泣くのですよねー。おとっつあん化が進んでいるのは間違いないですが、それにしてもねえ。雪かきするお婆ちゃんの映像見ただけでポロっと。復興に頑張るお爺ちゃんの姿にポロっと。もうなんでもかんでも誰かの為にこんなことやっています、風な映像見るとガーって出ます。呼吸器つけているので鼻が詰まるとえらいこっちゃなんですが、仕方ない。

ハナシがまた長くなっちゃいますけれど・・・。
誰も知らない貧困の外国に旅の途中で立ち寄って、そのままそこへ居ついちゃって、井戸を掘ったり、子供たちのために図書館を作るんだってレンガを積み上げる日本の若者たちの映像を目にします。
彼らをそこへ踏み留ませるものはいったい何ですか? 二十歳そこそこの彼らが今一番やりたくて、自分を幸福へ導くもの、それが、その国のその村で井戸を掘ること-。

う~むむむ。誤解しないでくださいね。まだまだ日本の若者は捨てたもんじゃない、などと安っぽいことを言っているのではないのです。大人ぶって上からの目線で、彼らを褒め称えているのではないのです。そんな偽善者にはなりたくない。

僕が思うことは、一歩を踏み出さないと何の轍(わだち)も残らない、ということです。
やると言うなら本当にやらないと何も始まらない。いつかこうなりたいんだ、という夢があるならまずは一歩を踏み出さないと、その夢は知らない内に空っぽの箱になっちゃう。
口先だけの人の話は面白くない。綺麗で優しい言葉は聞こえるけれど、その裏でペロっと舌を出しているのも、こちら側にはちゃんと見えている。それはこちら側も同じ。薄っぺらい気持ちはすぐに見透かされる。

レンガを積み続ける彼の心の強さや優しさには到底敵わない。
だから彼らに教えてもらったことを僕なりに咀嚼して、全部真面目になんて無理だけれど、いつかやろう、いつか行こう、と思っていることを今年は本当にやってみようと思います。

先ずは今、わずかに力が残っている自分の手で握手をしたい。ヘルパーさんにもナースさんにも友人にも知人にもみんなと、僕の意思で動く間に握手をしたいと思います。なかなか握手ってしないですものね。動けなくなってからでは遅いもの。ほとんど握力0だけれど、握手でしか伝わらない気持ちもありますものね。動く間にたくさん握っちゃるっ!
あとは故郷の大阪や、従兄妹たちのいる九州に行ってみようと思います。

おっと、その前にもっと自分自身とALSについて考えてみます。いつか考えなきゃなと思っていたことを本気で考えてみます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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