2014.8.29 遠い記憶

暑い夏はどこへやら。ここのところうーんと過ごしやすくなりました。こんなに8月ってあっという間でしたっけ? 昔はもっとこうアツイ~って実感がずーっと続いていたような・・・。

確かにね、無駄な重りをたくさんぶら下げて不要な色眼鏡を掛けながら歩く「大人」になった僕は、子供のような純粋な感動を感じなくなっているものね。そりゃそうだわね、夏の匂いを嗅ごうともせず、クーラーを夏の友だちにしているのだもの。あかんあかん。
少しでも子供たちが持つ優しさや純粋さを思い出せたらなと思います。

ALSという病気を知って貰おうとアイス・バケット・チャレンジという運動というか、アクションが世界を駆け巡っていますね。
世界中にはそれこそ本当にたくさんの病気があって、もちろん病気に限らず、飢餓や格差や、災害や差別など、心を痛めるものでこの地球は溢れ返っている。
僕たちは何を求められているのだろうな? 誰から? だれに? いったい僕は何をしてあげられるのだろう?

いつも思うことですが、地面を見つめる、地に足を着ける、ということを試されているような気がします。身の丈にあった自分を見つめなさいということなのでしょうか。
鏡に写る自分以上の自分はいないのだよと。ちゃんと自分の靴の大きさを知りなさい。爪先は汚れていないか? 靴紐は緩んでいないか?
ふ~む、僕は靴そのものも履き忘れているみたい。

真夏の暑さを凌ぐために、大きな木の木陰に腰を下ろして、そっと幹に背中をつける。一息汗を拭い、厚く重なる葉から差し込む木洩れ陽を見上げて、遥か高い大空に憧れる。そして、靴紐をキュっと結び直して、また眩しい陽射しの中へ飛び出して行く。

そんな記憶は忘れてはいけない。背中を丸めて俯いて歩くことしか出来なくなった大人になったとしても、木陰を作る大きな木が側にいることは、大人になっても変わらない。
はしゃぐ子供たちをいつも見守っていた木陰は、まるで母のよう。
疲れたら休みに帰って来なさい、そう言ってずっと待つことだけ。

いろんな悲惨なニュースや過酷な病を知って、助けに行ってあげられればいいけれど、それが出来なくても自分自身に出来ることがある。隣にいる家族や友人に手を貸してあげること。自分の足で歩ける範囲で肩を貸してあげること。自分の靴が届く中でいいから精一杯守ってあげること。

最近は何だか説教染みたことばかり言っているなあ。そろそろ木陰で休みなさい、ということかしら・・・。近々、母に電話してみます。

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