2012.4.18 もう少し

今日はいい天気です。桜の花は散ってしまいましたが、明るい日差しが気持ちいい。季節は移り、しばらく待てば新緑の頃。またあの黄緑色の若芽に出会えます。
なんだか意味もなく外を走り回りたい気分です。実際には走れないのでとても残念ですけれど・・・。

この季節はとても好きだけれどどこかしら緊張するもので、新学期は嫌だったなあ。どんなクラスに入るのかいつもドキドキしていました。新しい友達ができるまでは前のクラスメイトと帰宅したりして。いやあ切なくも懐かしい。
最近はどうなんですかね、今の子供たちはすぐに友だちになれるのかな?
社会人になってもそう、どんな先輩がいるんだろう、どんな後輩が入ってくるのだろう、普段と同じでいいのに変に緊張していましたね。

だからか。自分の気持ちがたかぶっていつもより優しくなるからこの季節が好きなんだろうな。できればずっとこれからもこの季節に出会いたい。毎年毎年生まれてくる新緑を眺めたい。いつまで出来るのだろうか。あと何回?ってカウントしなくちゃならないのだろうか。そんな回数なんて数えないで生きていたい。

最近はまた手が重いのですよね。また少し進行したのでしょうね。なにをやるにも疲れますし、とにかく何かを持つということが辛い。フォーク一本が重たいのだもの。そして息苦しさが増えました。何かをするとそのあとはいつもフーフー。一所懸命に首や肩の筋肉まで使って呼吸しています。あー苦しい。
僕は今のところ気管切開はしないと決めています。その方向で親兄弟にも医師にも伝えています。これはとてもデリケートな問題なので、他のALSの患者さんやそのご家族の方に不快な思いを与えてしまうこともあると思いますので、それならばお詫びします。すみません。許されるなら僕個人の意見として聞き流してください。僕が間違った見識や判断をしていてもどうぞお許しください。

頭で想像することしか出来ませんが、やっぱり僕は介護・看護してくれる方が辛いのを知っていながら自分からは何も応えられないということが耐えられないのです。今はまだ自分の意思を伝えられますが、いずれ必ず全身の筋力を失い瞼も開けられず、真っ暗闇の世界に入る。胃ろうから栄養を取り、人工呼吸器で生き続けられますが、看てくれる方からの「暑くない?」「大丈夫?」に応えられないことが絶えられないのです。

介護してくれる方は24時間、自分の生活を捨て、僕の為に人生を捧げる。生きていてくれるだけでいいと言ってくれるでしょうけれど、僕にすれば、じゃあ貴方の人生は?と思ってしまう。
「愛」なのでしょうね。分かっていますよ。親兄弟なら尚更言うのでしょうね。バカなことを言うな、生きていてくれることだけで俺たちは幸せなのだからと。逆の立場だったら僕もそう言います。きっと。でも、病気の本人の僕は、だからあなたたちの辛さや苦しさを取り去ってあげたい。もっと自分の人生を生きて欲しいと。

言葉足らずですみません。とても難しい問題なのでいつか僕も気持ちが変わって、気管切開してずっと生きる、という方法をとるかもしれません。それがすべての人の幸せなのかも知れませんものね。
でも今の僕はそうではありません。僕の反応がなくても看護してくださる方はそれでもいいよと言ってくれるでしょう。でも相手から何一つ反応がないまま何十年も介護を続けて行くことは本当は辛い。僕はその人が可哀想でならない。

自分で「ありがとう」と意思表示が出来なくなった時には、もう光を消したい。でも、動けない身体では自分の意思で光を消すことは出来ない。
唯一出来ることは、「ありがとう」と言える内に光を消すこと。自分の意思で自分の行動が取れる間に意思表示すること。

あと何回、新緑の季節に出会えるだろう。あと何十回も黄緑色の小さな葉っぱが見られたらいいなあ。自分の意思で自分の光を消す準備をするのは辛い。まだまだやり残したことがたくさんある。まだまだ逢いたい人がたくさんいる。逢わなければいけない人がたくさんいる。
もうちょっと頑張るから。からだよ、もう少し耐えてくれよな。

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