2012.10.24 消耗と混沌と充電と 2

「消耗と混沌と充電と」と題しての今回は「消耗」について。

この頃はすっかり秋めいて、晴れた気持ちいい日もどこか肌寒くて人恋しい。もう少ししたら枯葉が遊歩道を覆い、その茶色い道しるべにふと立ち止まる季節になるんだろうな。
僕はもう自分の靴底で枯葉を踏みしめることが出来なくて、あの小さな乾いた音を聞くことができない。

いつも思うことですが、何処へ向かっているのだろうな。そんなこと考えたって、誰も答えを持っていないことは知っているんですけれど。でもね、僕はやっぱり迷宮にいるんですよ。昔流行ったでしょう、巨大迷路。あんな感じです。ひょいと顔を出すとその巨大迷路の向こう側や外の景色は見えるのに、今居るところからは出られない。手のひらに乗せて指で辿っていく迷路なら良かったのに、自分が立っているところが迷路の中だなんて。
思ってはいけないことなのか、いや、むしろしっかりと意識してもいいことなのか、そのどちらが正しいかなんて分からないけれど、どうしても外の世界が羨ましい。迷路の外の暮らしは二度と出来ないことは知っているけれど、うらやんでしまう。

先日懐かしい友が訪ねてきてくれました。友と呼ぶには失礼な大先輩ですけれど、でも知人や先輩と呼ぶには他人行儀で遠すぎて・・・。出会ってからもう30年以上にもなるものね。想い出がたくさん積もっているもの。どうもありがとう。
明日はきっと来ることは知っている。誰にだってまだ見ぬ新しい未来が待っていることも知っている。誰にしろ昔に戻れないし、懐かしむということは、それを大切な宝物としてしっかり抱えて生きていくということだ、ということもちゃんと分かっている。

でも、自分がどこかにプツンと置いてきぼりにされるなんて。
新しい自分に逢いたくて名も知らぬ町へ行ったとしても、何かを忘れるための旅だとしても、結局は抱えたものを忘れることなんて出来ないし、きっとその旅は想い出を数えるための旅。
僕にすれば、走っていた頃の自分を忘れるにはまだ早くて、想い出が多くて・・・。

おセンチな秋、僕の分身は空からはらはらと舞い落ちる。消耗している自分とそれを見ている自分。茶色い枯葉の中には幸せ色、悲しみ色、たくさんの自分が隠れているような。
ちょっと寒いけれど、靴を脱いで裸足になれば、少し心も軽くなるだろうか。

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