2011.9.6 残された時間

少しずつ季節は移ろい、差し込む陽射しも少しずつやわらかくなってきているみたい。カーテンの隙間から入り込んでくる光は随分とやさしくなりました。

僕が幼い頃に暮らしていた家には連子窓があって、その茶色い格子は、外の暑く眩しい光を幾本にも分散させて部屋の中へ取り込んでいました。明かりのついていない暗い部屋はとても静かでとても冷んやりとしていました。
僕は畳の部屋に膝を伸ばして座り、壁に背中をつけて、自分の足首に降りてくる幾本もの陽の光を眺めていました。
真っ暗な部屋の中で、僕の足首を光の帯が温めてゆく。連子窓から差し込む真っ白な光は、真っ黒な空間を斜めに切り刻み、僕の足首に一直線に舞い降りる。まだ何も知らない幼い僕は、自分の身体の一番遠い部分で熱を感じ、まだ見ぬ外の眩しい世界を想像する。

これは、「ひとの轍(わだち)」(実験的小説)にも書きましたが、いまだに心の奥底に残る僕の大好きな心象風景です。幾本にも分散された陽の光の中に、部屋中の埃がキラキラと顔を出す。真っ白い埃は生き物のように光の帯の中に現れては消えてゆく。僕は予期もせず、温められてゆく足首を見つめながら命の不思議さを感じていました。

今日、窓から入り込む光は、そんな幼い頃に感じた光に似ていました。
あれから随分と歳をとりました。僕は憧れた通りに自分の轍(わだち)をつくって来られたのだろうか・・・。
先日、定期健診に行ってきました。肺活量は40.3%でした。4月は50%弱でしたかね、また一段と膨らまなくなりましたね。確かに最近はいつも息苦しい。CO2は51.8mmHgに増えました。4月は49.3mmHg。身体に溜まってますな。ふ~む。
頑張るつもりは全然ないのです。頭に過ぎり、心に浮かぶのは、何だ?この病気。何故こんなに辛い?そればかり。いったいいつまで続くの?そればかりです。腕が上がらず、自分の頭も掻けない。なんだ。この病気。
あと30年も40年も生きられるのか?そうだとしても毎日こんな状態が続くのか?もっと動けなくなってどんな状態になるんだい? それとも、あと数年しか生きられないのかい? 僕に残された時間はあとどれくらいあるの?

幼い頃、連子窓に守られていた僕は、今はその茶色い格子の外にいる。憧れていた外の世界で僕は生きている。ここが望んだところかい?僕の轍はしっかりと深く刻まれているかい?
まだ、そうではないというのなら・・・。茶色い格子から連れ出されてから今日まで歩いてきた時間と、それと同じだけの時間を僕にくれないか。
もうこれ以上、進行しないでくれ。溜め息をつくことにも、もう飽きた。
毎日、もう飽きた。

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