2011.2.9 胃ろう?

久しぶりにブログを書きます。随分とサボっていました。考えることが多すぎて・・・。
今日は訪問医師に来て頂きましたが、近いうちに胃ろうをつけよう、というハナシが出ました。
先日、大学病院の定期健診で、将来、気管切開することを受けるか、それともつけずにいて、万一タンが詰まったり、呼吸困難で運ばれても、そのまま延命処置はせずにそこで命を全うするか、そのどちらを選ぶか考え始めてくださいと言われたばかりなのに。

気管切開は当たり前の処置で、命を救う為には必要なことですが、その後の生活は、必ずしも幸せではないらしい。
やがて身体が全く動かせなくなり、瞼も開けられなくなると、完全な真っ暗闇の世界に入ります。音は聞こえ、痛みや痒みは感じ、苦痛や欲求は生まれるのに、その全てを伝えることができなくなる。その状態で何年も何十年も過ごすことは、決して幸せではない、そう大学病院の医師はおっしゃっていました。
辛いと言い伝えられなくて、自らの手で呼吸器を外すこともできない、意識がありながら真っ暗闇の中で生き続けることも辛いし、それを自らやめることも出来なくなることは辛いと。
と言って、気管切開せずにそこで生涯を終えることも幸せではない。どちらを選んでも幸せではないですものね、そう先生は言われました。

確かに。何が自分に幸せなのだろう。どちらを選んでも幸せではないことを選択せざるを得ない人生なんて、答えは出ないです。
アメリカでは気管切開せずにそのまま人生を終える人の方が多いとか。
何とか逃げずに考えなければいけないな、と思っているここ毎日の中で、今日、先に胃ろうをつけようと言われたので、またまた悩んでいます。いずれ物を食べられなくなる、そのときには遅いので、今から胃ろうを開けて必要な栄養分を補給しようということは分かります。でも、胃にチューブをつけて生活をする、これは僕にとって、かなりのターニングポイントです。どこか先の話、誰かよその人の話、そういう風にALSを遠ざけていましたが、胃ろうをつけると、一気にALSの世界へ引きずり込まれそうで、ずっとフタをしてきたことです。気管切開もそう。

もう逃げられなくなってきました。元々、僕はたった一人きりで物事を考えるのが好きでしたが、ALSは僕には重たすぎる。毎日毎日、少しずつ動かなくなってゆく身体を感じることはつらい。
いい加減、心が折れそうです。ぶー。

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