2011.2.21 足裏の世界

何だか最近また変なことを考えています。昔から鏡や窓に写る自分を見るたびに、もしや、とか、きっと、とか思っていたことです。 それは、この世には、自分のほかにもう一人自分がいて、彼と僕はいつも足裏で繋がっている。その世界は「´」(ダッシュ)みたいなもので、今目の前に広がる世界が、実はそっくりもうひとつ足裏で繋がっていて、ひっくり返ったもう一つの世界があるというものです。いやあ、わかりにくいハナシですみません。

その世界の彼は、こちら側の自分と異なった生活をしているのではなく、今の自分とまったく同じ暮らしをしています。同じ時の流れの中で、「僕」と、「僕´」がいるわけです。異なった「A」と「B」ではなく、まったく同じ「A」と「A´」です。
時々彼を見ることができます。毎朝の鏡の向こうに、道端の水溜りの向こうに。
鏡や水溜りに映る自分は、自分と全く同じ動きをするので、自分が映っているだけだと思いがちですが、いやいや、彼は自分のコピーではなく、もう一人の自分なのですね。鏡に映る世界は、こちら側が映っているのではなく、向こう側の世界が見えているのですね。妄想~。でも今日はこのまま妄想しましょう。

僕が考えるこの二面世界の面白いところは、きっと人は、今日は「オリジナル」で行くか、もうひとりの「´」で行くか、何かの力に選ばれながら生きているんじゃないかと思えるところなのです。表裏一体とか、白と黒とか、善と悪とかあるでしょう。たった紙切れ一枚でも裏と表があるように、毎日の人の感情や暮らしは、どこかでこちら側と向こう側とを行き来しながら成り立っているのではないかと。う~む、わかりづらい。

同じことがあっても、とても落ち込む時と、何てことないや、と思える時ってありますものね。あれって、きっと入れ替わっているんだ、昨日の自分と今日の自分と。鏡を覗いたときや、ガラスに映った自分を見つけたときに、入れ替わっているんじゃないですかね。何だかそんな気がします。神さまが、僕と彼をつまんで入れ替えているんじゃないですかね。

そう思うと、少し自分の逃げ場が出来るような気がします。あーダメだ、こんな自分じゃだめだ、と思う時があっても、そうだ、明日は「´」と入れ替われば、また元気にやり直せる。あちらの世界は、こちらの世界と全くウリふたつで、同じ景色ですが、きっと何かの浄化装置が働いていて、戦争も殺人も、公害も病気もない。ずっと向こう側で生活できればよいけれど、知らずにこちら側に連れ戻される、でも、時々はあちら側へ行けるので、そこで充電して戻ってくる。綺麗に元気になった自分に今日はお願いしよう。
なんだか、この世はそんな仕組みなのかな、と思ったりします。

僕は、この病気を自分に与えらた試練、などとは到底思えない。そんなに強くは生きられない。そんな格好いい考えは持てないです。発症してから、ずっと毎日、無念と恨みごとばかりです。それでも必ず納得しなければならないのなら、それは、自分に与えられた「罰」だと思うことで納得しています。何の原因もないのに病気にはならないでしょう。不治の病になるなんて、それなりの理由がないとならない。きっとこれは、僕に与えられた罰なのです。

自分の意思で行き来ができないとしても、時々は入れ替わって、優しい自分に戻れたならと思います。
窓に映る彼の目は、僕をじっと見ています。ねえ、また入れ替わってくれるかい?

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