2011.11.29 ひとり○○

あちゃー、今回も長くなりました。
最近、巷でタダナラヌものが流行っています。「ひとり○○」というフレーズ。
ひとり焼肉とか、ひとりしゃぶしゃぶとか。う~ん、考えた人も凄いけれど、それを受け入れてしまうこの社会もスゴイ。
確かに僕が子供の頃から「一人○○」とか「個室○○」とかいう商売はありましたが、それはとってもアヤシイもので、一部の偏ったオトナたちが利用するものでした。とってもアヤシかったけれど、タダナラヌものではなかった。明確にアヤシイものでした。でも最近の「ひとり○○」は何だかよくわからないタダナラヌ感がいっぱいです。

ひとり焼肉をTVで見たときは、ああ流行るんだろうなあ、と思っていたら本当にあっという間に流行りました。焼肉を食べたいけれどあらためて誰かを誘うことは面倒だし、長時間誰かと食事をすることもわざわざちょっとねー、でも今日は焼肉食べたいのよねー、自宅じゃ汚れるしー、といった欲望にぴったりとあてはまったのですね。グループで食べているお店に一人で入っていくのは恥ずかしい、という心理を見事に突いて、ひとり焼肉店は一人掛けテーブルとイスになっていて、おまけに隣人とは顔を合わせないように衝立までついている始末。左右と目の前に板壁!ぬぬぬ~。店員さんも客人を見られるのは後ろ頭だけ。ぬぬぬ~、ぬぬぬ~。
今はひとりしゃぶしゃぶもあって、最近はひとりカラオケまであるらしい。二畳ほどのスペースでヘッドホンをつけて歌うらしい。ぬーん、また流行るんだろうなー。

でも、ちょっと違う。なんか違う。う~む。
何でしょう。人と絡むということや、気を遣うということが面倒というか、人に合わせることが面倒というか、そういうことなのでしょうか?プライベートな時間まで他人と会いたくないと言うと聞こえは自己主張みたいですけれど、結局は、他人のペースの中で自分を抑えることが我慢できないという弱さの裏返しなのでしょう?
嫌なことや理不尽なことがあっても、その中で自分を抑えるということが、つまりは同じことをひとにしないということに繋がるし、面倒や邪魔くさい時間を過ごすということは、果たして自分というものが社会の中でどの位置付けにあって、自分と社会との間にはどれくらいの距離があるのだろうかと、自分を知ることになる・・・。

仕事も今じゃとても分割分業化されて、あまり誰とも言葉を交わさずに一日が終わるということがあるみたいです。会社で嫌なことに遭遇しないように誰とも絡まずに帰ってきて、ひとりカラオケで憂さを晴らし、ひとり焼肉で愚痴る。これが格好いいのかなあ。これが我慢強いということなのかなあ。自分は偉いと思っている人ほど人の気持ちは分かっていないもの。

ま、そういう僕も面倒臭いものから逃げているのですけれど。僕こそ偉そうに言う資格はありませんけれど。
でも、「ひとり○○」が流行ってしまうこの世の中に、何かタダナラヌものを感じてしまいます。
年末は我慢して忘年会してくださいね。無事に一年過ごせたのだもの。自分以外の、人、モノ、みんなに、感謝しなくちゃね。

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