2010.9.6 努力?

9月に入りブログの背景を変えました。先日は文面も少し違う書き方をしました。
季節は移り変わり、もうすぐオレンジ色の秋が来ます。大好きな暑い夏が名残惜しい。おセンチな秋が来たら、きっと人恋しくなる。いつものことだけれど。
僕の身体は、あとどれくらい自分の意思で動かせるのだろうか。目を瞑ると、懐かしい田舎の風景ばかりが浮かびます。思い出すのは子供の頃の景色ばかり。

努力をすること。
使い古された言葉ですが、僕は、まだこの言葉をうまく使えません。この言葉は自分自身に向けて使う言葉なのか、誰か人に掛けてあげる言葉なのかよく分からないからです。
俺は、こんなにも努力を重ねてきたんだ、という人がいます。今、ここにこうして自分がいるのはこんなにも大変な努力をしてきたからだ、お前は全然努力していないじゃないかと。そう言う人がいます。この使い方で良いのですか?

努力は難しい。僕みたいな甘えばかりの人間にはとても重たすぎて使えない。簡単に、努力した、などとは言えない。この言葉は、本来、誰か人にむけて掛けてあげる言葉ではないのか、と思います。褒めてあげる言葉だと。自分から、私は努力しました、などと言ってはいけない気がします。言ったとたんに、それは自慢に変わるし、自分の限界をさらけだすことになる。

一所懸命に頑張ることはとても大事ですが、自分のやってきたことを人に自慢する必要はないです。俺はこんなに努力してきたんだ、と言う使い方は、どこか違うような気がします。誰かに向けて、あいつは努力家だよな、あの人はいつも努力しているよね、が本来の使い方のような気がします。
努力って難しいですものね。修行みたいだもの。甘ちゃんの僕には出来ないです。根性なしだもの。

また少し腕が上がらなくなりました。例えば車椅子に乗って部屋のスイッチを押せていたのに、このごろはスイッチの位置が高いと感じます。シンクの水道の蛇口の位置が高い。玄関の鍵の位置が高い。ますます自分の腕が重いと感じます。筋肉がまた衰えたのです。
努力は嫌いです。昔から。だって辛いもの。大変だもの。腕なんか頑張らなくてもスッと上がればそれで済むことなのに。ドアの鍵なんか、頑張って壁に腕を沿わせて両手で擦り上げていかなくても、スッとつまんで回せれば済むことなのに。

なぜこんな普通のことが出来ないのだろう。何故、僕なのだろう。
君はずっと努力しているね、などと言われたくない。そんなことしてないですもん。ずっと頑張っているね、などと言われたくない。頑張りたくないです。ただ、普通の人のように動きたいだけです。何故、僕なのでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください