2010.7.23 時の狭間

休みの日に窓の外をじっと眺めているときがあります。
部屋の灯りも点さず、テーブルに、ぽつねんと肘をつき、その上にあごを乗せて、何気なく窓の外を窺ったりしています。

夕刻になり、少しずつ陽がかげってくると、昼間は灯りがなくても明るかった部屋がだんだんと暗くなっていきます。じっと眺めている窓の外の方が明るくなり、やがてその明るさも消えてしまうと、外の世界も、部屋の中も、何も見えなくなる。 その陰り行く時間が好きです。
すべてのものが止まっているみたい。テレビや電灯など、部屋の中や外の世界に転がっている、人工的なものや、機械式のものなんて、何も意味がない。それらはいつか壊れて動かなくなる。

灯りを消した部屋で感じるのは、時が進んでいること。時計に刻まれた時間ではなく、ただ時が進んでいること。僕たちが何をしようと、何を悔いようと、時は止まらない。
何を語る程も学んでいないし、自分が悩み苦しむほども生きていない。
立ち止まるほど歩いてなんかいないですし、救ってあげられるほど多くを知りません。僕なんて、まだまだ少ししか生きていないじゃないか。
何かをする為に生まれてきた筈ですが、まだまだそれが分からない。 その答えは見つけるものではなくて、探し続けることに意味があることは知っています。それでも、何を焦っているのだろう・・・、と思う時があります。

窓の外を眺めていると、僕がそこに居ても居なくても、時は進んでいきます。肘をついた手のひらにあごを乗せて、僕はじっと外の景色を見ています。僕の轍(わだち)は、どんな形をしているのだろう。

右肩の亜脱臼が酷くならないように、装具を作る検討をしていましたが、諦める結果になりました。装具自体を着ることがどうしても僕には出来ませんでした。もう両腕を肩以上に持ち上げることが出来ません。上げるどころか、その腕を前へ伸ばすことも出来なくなりました。
本当に寝たきりになるのだな。それが怖くて涙が出ます。

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