2010.2.24 忠如

子供の頃から付き合っている大好きな先輩に教えて貰った言葉があります。今は離れている為、全然会っていませんが、ボーイスカウトで一緒にキャンプへ行き一緒にお酒を浴びるほど飲んだ仲です。

「忠如」ちゅうにょ。
文字は躰を成す。忠如という言葉を見てみると、忠:口と心の真ん中を一本の線が通っている。或いは、口と心は真っ直ぐに一本の線で繋がっていると解釈しましょうか。そして、如し。つまり、心に浮かぶ思いや自分自身というものは、真っ直ぐに口と繋がっているということです。僕なりに租借し理解しています。
熱い思いや、哀しい気持ちも、心に抱えているだけでは潰れてしまう。口を通し、言葉に出し、誰かに伝えなくてはなりません。逆に、口に出し音にする言葉は、心の如く正直でなくてはならない、ということでしょうか。口と心の間に何ひとつ鎧を着けてはならない。隠したり誤魔化したりしてはいけない。心を真っ直ぐに口に出し対峙すること。口から出る言葉は心の如しです。

この言葉はとても難しい。でもとても大切なこと。
僕は正直に生きたい。これは人生のモットーみたいなものです。自分には出来ないことがたくさんあります。人を傷つけることばかりで、誰も幸せにしていません。自分はいろんな人に支えられてばかり。
だから一人でうずくまり、膝を抱えます。悩み、落ち込み、途方に暮れます。そこから這い上がるには、自分で立たないといけない。たとえ誰かに両脇を抱えられて連れ出して貰ったとしても、結局は自分自身の足で立ち上がらないと、自分自身で歩き始めることは出来ない。自分の心であり、自分の一歩だから。

酷なことです。答えは誰も教えてくれない。でも軌跡は残りますよ。歩いてきた轍は残る。それを必ず誰かが見てくれています。ここ数日、友人から苦しんでいるメールを貰います。じっと苦しみ涙を堪えている。僕はこんな身体なので、会いに行ってあげることが出来ない。でも、僕は知っています。いつどんな心でどんな轍を作ってきたのか。
頭で考える人がいるなら、今日は心で感じましょう。心が求めていることを知る。そこには本当の心が望む答えが待っています。焦らず悩みながらでいいのです。本当の本心は何ですか? 誰かが望む模範解答ではなく、自分自身の本当の本心は何ですか?

このごろ右手がうまく上がりません。腕が伸ばせない。肩の高さの70%位は上がっていたのにまた落ちたか・・・。なんてことだ。ここ半年は進行が早い。でも心にためず記録しよう。いつか読み返した時に、今日の僕の心が見える。

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