2010.11.5 怒らない人

最近は本当に腕が上がらなくなりました。そして前へも伸ばせなくなりました。子供が小さく前へならえ、ってするでしょう。整列するときに。普通に前へならえじゃなくて、短く列をなすときに、先生が小さく前へならえって。腕を伸ばすんじゃなくて、肘を畳んで小さく前へならえ。僕の腕はあんな感じです。

テーブルの上のコップやお皿を引き寄せることも出来ませんし、コップをぐいっとあおることも出来なくなりました。とにかく自分の腕が重い。お箸やハブラシが重い。なんだかなー。何処へ向かっているのでしょうね。
車椅子の生活なのでどうしても行動や目線が低くなります。シンクの蛇口はとても高くて遠いので、マジックハンドを使って蛇口を開いたりしています。外に出ても低い道路ばかり見るようになりました。不便なことも多いですが、そのお蔭で好都合なこともあります。道端に落ちているゴミとか、う○ちとかも良く見えます。車椅子でう○ちとか踏んだら最悪ですものね。お~、考えただけで恐ろしい。

何だか子供の気持ちに戻れるような気がします。人がそぞろ歩くその脇の、風に追いやられた枯葉や、雨に濡れた名もない小さな花もよく見えます。指が上手く動かないので、何かを掴んで拾い上げるということはできませんが、子供の頃、爪の中を真っ黒にして遊んだ、夢のカケラを探せそうな気がします。昔は何にでも興味が沸いて、ほんの明日にさえ夢を抱き、夜が明けて陽が沈むまで汗いっぱい掻いて遊んだ日々を思い出します。どんなところにも宝物はあったんだ。

今は随分とおとっつあん化しましたし、ぶらさげている錘も偏っていて、人のアドバイスもちゃんと聞けない人間になったように思います。人の意見をアドバイスだとは受け取れず、自分では理解できない我儘を言う人だと突っ返してしまう。確かに理不尽で、誰から見ても間違っていることを言われているとしても、子供のときの方が優しかったです。もう少し受け入れる心があったように思います。ケンカや言い争いの後は随分と胸が痛かった。大人の僕が子供に帰ることは出来ませんし、子供のような純粋な心を取り戻すことはできません。無理ですものね。絶対。
ならば、人を許せるようになりたい。いや、それも到底僕には難しすぎる。
ならば、せめて、怒らない自分になろう。それも難しいか・・・。
怒らない人間になる、とか何とかの本を読んでいるという友人がいました。きっと僕なんかよりも全然怒らない人になっているんだろうな。

目線が低いと大人には見えないものがよく見えます。
小学生の頃です。校庭の隅に人工のひょうたん型をした池があって、そこには大きな石亀がいるのですが、いつ覗いても姿が見えない。夕方近かったかな。ボール遊びを終えた僕たちはどろんこになってひょうたん池に向かっていました。すると、その人工池のコンクリートの縁の上に大きな黒い石亀が!捕まえようとみんな我先に走って競争です。
なぜか僕がその亀に一番に辿り着き、やった!という思いで左手で亀をわしづかみました。
な、な、なんとっ。石亀は僕の手の中でぐしゃぐしゃに壊れ、僕の指の間からは得たいの知れない、いや、見覚えのある黄色い臭いものが・・・。 ぬ~ん。石亀ではなかったのでした。どこかのバカタレ犬が池の縁にう○ちをしていたのでした。ま、まさかっ、う○ちをわしづかみするとはっっっ。ぬぬぬぬ~っ。
それ以降、僕は石亀が嫌いです。くそ~。

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