2010.1.23 好き?嫌い?

誰かを好きになることは難しい。恋とか愛とかの恥ずかしいハナシではありません。そんな、きゃー的なオハナシはお近くの諸先輩方にお聞きください。

真面目な人付き合いのハナシです。誰かを簡単に嫌いになれても、好きになるにはなかなか簡単にはいきません。よく言われますよね。誰にも良いところがある、だからあまりイヤな部分とか駄目な部分ばかりあげつらうのではなく、もっと違った部分、良いところを見てあげなさいと。
どうですか?正解ですか? 一見もっともらしい意見に聞こえますが、僕はこの意見にはう~むです。だって、こんな言葉もよく聞きます。あいつは駄目だ、良いところが全然ない、良いところを探せと言われてもないんだもん、仕方ないじゃないか、あいつはダメだ、クビだあ、などと。
う~むむむっです。考え方が違う。悪いところばかりが目に付き、嫌いになりそうだけれど、もう一度考え直して、良いところもある筈だと探しました、でも良いところもありませんでした、やっぱりあの人は嫌いです。という答えの出し方でしょう? 方程式自体を間違っています。

嫌いになる、ということをしない。という考え方はどうでしょう。イヤな部分とか、我慢できない部分があっても、それはそれでいいのです。イヤなままで。でも、好きな部分とか、良い部分も探さなくていいのです。嫌いな部分の反対側に、好きになる部分があるという考え方をしてはいけないのです。嫌いな人と思いたくない=良いところを見つける。という方程式は間違いです。どこにも良いところがない、なんて人もいますよ、もちろん。

あいつのこんなところがイヤだ、あの人のあんなところが駄目だ。それで結構。でも嫌いにならない、と思えば付き合いは続きます。自分が好きになれるところを探すから嫌いになるのです。自分が好きになれない人は嫌いだと思うから嫌いになるのです。~だから嫌いになる。という考え方がいけませんね。ゴールが、嫌いになる、になっている。ゴールは、嫌いにはならない、ということにしませんか?
理不尽な上司も、頼りない後輩も、みんなそれぞれです。自分が一番なわけではありません。自分と考え方や生き方が違うとしても、嫌いになってしまえば縁は切れてしまいます。許せなくても、嫌いにならない、と思えば付き合い方が変わります。
でも、男女の関係では難しいのですけれどね。これが一番厄介・・・。

本当は・・・。本当は、僕は毎日もういいやと思っています。だんだん身体の自由が利かなくなってきましたし、大好きなお店も段差があったりで、入れるところがなくなってきました。寝返りひとつ打つにも必死ですし、トイレやお風呂も大変。呼吸をすることも意識しないと苦しいし。将来に備えて人工呼吸器を寝るときにだけつけてみようかという話もでています。なんだか、もういいや、と思うときが多いです。止まることのない病を見続けるのはつらいです。止まってくれればまだマシかもしれないのに。どんどん身体が動かなくなって行く未来に何があるのでしょうか。

あまりに多すぎます。あの人は嫌い。あの人は許せない。好きになれない。口を開けば誰かの批判ばかり。耳を傾ければそんな会話ばかり。
線を引くつもりはありませんが、でも、あなたは歩けているじゃないか。走れるし、階段も上れるし、好きなところへいつだって行ける。泳げるし、転んでも起き上がれるし、花も持てるし、楽器もひける。手を繋げるし、抱きしめあうことも出来るし、歌もうたえる。絵も描ける。健康って、とっても贅沢なんですよ。

嫌いになる、ということをしない。とても難しいです。僕にもやり直せたらなと思うことばかりです。

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