2010.1.1 轍

大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心を込められたか。

僕は365日周期で生きていないと書きました。矛盾していますがどうしても一年の始まりに書き残して置きたいことがあります。今年一年を過ごす為に道しるべを立てたい。自分を戒める為に振り返る轍(わだち)をつけたいのです。

昨年、親しい友人のご家族が亡くなられました。こんなことを軽々しく僕がブログに書くことは許されないことだと承知しています。でも僕はその友人がとても大好きですし、その友人の無念さを思うと、どなたかにその無念さを知って欲しいと思い、無礼ながら少しお話しさせて頂こうと思います。
友人のご家族は去年の初夏を迎える前に急に倒られました。意識不明の重体で入院されました。友人は毎日泊り込み、寝る間もなく付きっ切りで看病し回復を信じていました。僕は又聞きでそのことを知り、失礼ながらメールを友人宛に送りました。きっと神さまはいらっしゃる、ご家族の生きたいという意志も、あなたの望みも、必ず神さまは聞いてくださる。だから信じて看病してあげてください。僕は無責任にもそんなことをメールに書きました。

昨年末、友人から喪中ハガキが届きました。
僕は愕然としました。何ということ・・・。僕は本当に神さまが救ってくれると思っていました。ご家族が意識を取り戻し、普通に暮らせる日が必ず来ると信じていました。
僕は何という無責任なことを友人に言ったのだろうかと後悔しました。あなたがどんなに寝不足で身体を壊そうが、あなたは全ての力を使ってご家族の為に尽くしてあげてください、そうすればあなたたちお二人は必ず救われるからと。
神さまはいないのかと本当に嘆きました。

友人の無念さは計り知れません。ご家族本人の無念さも。なぜこんなことが起こるのでしょうか。何の責任もなく、自分の我欲だけに生きる輩がのうのうと暮らし、ただ真っ直ぐ正直に生きたいと望む人が何の理由もなく突然いなくなる。
友人の無念さは消えない。
悲しみは時間が解決する、だから元気をだして、なんて、そんな無責任なことは言わないでください。望まない悲しみは要らない。不要なつらさや痛みは本当に要らないのです。
振り子の原理が働くのなら、いつか幸せをと思います。でもそんなに幸せはいらないから、その代わりこんな悲しみは要らない。それが友人の無念さだと思います。

大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめられたか。
本当に本気で走ったことがありますか。本当に限界まで走ったことがありますか。
あなたはどれだけ心をこめたことがありますか?
どなたか救いの言葉をください。
友人の無念さは消えない。友人が本気で心を込めたことが報われないなんて。
この無責任なブログにお叱りを頂いても構いません。でも一人でも多くの方に無念さを知って欲しい。悲しみを分散することが出来るのならば、どうか分散させてください。一月一日。道しるべを立て、轍を残します。

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