2009.12.30 縁(えん)2

前回、人との出会いは、偶然であっても、必然であっても、くるくる回る球体の上に乗っかかっていて、自分の意思の届かないところで起こるものだと書きました。縁が存在するのだと。
とても大好きな人だけでなく、どんなに二度と会いたくないと思う人も、どこかで自分の人生に繋がっています。一見自分の人生には何の繋がりもないように思える人も。たとえば、電車の中で足を踏まれた人も、スーパーのレジでたまたま自分の前に並んだクレーマーも。

誰かとかかわると、必ず感情が生まれます。本を読んだり映画を見て生まれた感情ではなく、人と触れ合い生まれた感情は、おおむね、相手にその感情の原因を依存します。
あの人の考えは嫌いだ、あの人の行動は常識外だ、あの人とは相容れない。あの人のお蔭で楽しかった、あの人に言われて救われた、など。

本来は自分自身の感情の変化なので、自分自身に感情の起伏の原因がある筈なのに、相手にその責任を求めます。自分の心が怒ったり、揺れたりするのは、誰かのせいだと思うのです。自分ひとりで部屋に居るときは平穏なのに、あの人と出会ったせいでこんなにイライラする、などと。
感情の起伏の対象が、物だったり、動物だったらどうでしょう? そこまでイライラしますか? 怒りをぶつける対象がなかったら、きっと自分で納得しているでしょう。でも、相手が人間だったら、その人のせいにしちゃう。う~む。
一生のうちに何人の人を大好きになれるでしょう。いったい何人の人を恨むでしょう。どんなに望んでも、世界中の人と知り合うなんて不可能です。頑張って書いた年賀状の数は何枚ですか。

自分の球体はくるくる回り、誰かの球体とくっついたり離れたり、とげがあって傷ついたり・・・。でも、誰かと出会えるなんて素敵じゃないですか。
あー、見知らぬおとっつあんがゴミをポイ捨てしてる~、と嫌な感情が沸いたとしたら、ポイ捨てはいけないことだと気付いたわけです。見知らぬ人でも自分の人生に関係している。縁を大事にしたいと思います。出会えた理由が、必ずどこかにあるのです。

年の瀬

年の瀬ですね。
今日は親しい友人と飲みに行ってきました。美味しいお酒と美味しい肴と、暖かい人との縁。店へ向かう駅前通り。寒空の下、あまり人影がありません。ふと擦れ違った人がいました。どこかで僕の球体と触れ合っているかも知れませんね。
(いつかまた縁についてのつづきを)

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